曼荼羅アート専門店|Atelier Otoha 歴史ある曼荼羅は自然から人々が学び身近にあるものとして共に生まれてきました。円は自然界に多く有する形で曼荼羅はその身近な円で表現され宗教や国、時代を超えて伝わっています。曼荼羅アート専門店【Atelier Otoha】では、中村清美が心で感じたエネルギーを曼荼羅で表現し皆様へお届けできたらと思っております。

繰り返してきたパターンから気付けたこと【閲覧注意!!】〜過酷な生い立ちを綴った自己紹介〜

母を幸せにしたくて、助けたくて生まれてきた気がする

私が一番古い記憶で思い出せるのは、2歳頃、

アメリカで、母親とばかり一緒にいたこと。

聞けば、私が生まれる前から両親の仲がいい方ではなく、

このお母さんには、私が必要なんだと思ったのも

その小さい頃だと思う。

アメリカで、大きな松ぼっくりを拾ったことと、

ダルメシアンの犬を覚えていた。

そして帰国して、幼稚園に通った。

 

幼稚園の頃

覚えているのは、園庭で、

なんで、私は生まれてきて、いきているんだろう、

体の中は空洞なのかな?

幼稚園に通う意味なんてあるのかな

と考える子供だった。

幼稚園では、毎日、子供同士で色々な

思いがあったと思う。

自分は周りと違う、私は姫だから、と

いう思いが常にあった。(どんな子供だろうと

今では笑える。。。でもこれが過去世の記憶だ )

 

一番覚えているのは、二つある。

一つは演劇発表会をしようとしていて、

私は、そこで主役になれるんだと思っていて、

なぜか思っていて、周りの子供達にお前なんて、

主役になれるわけがないんだ、

その他大勢の中の一人なんだとはっきり

言われたことを思い出す。

それでも与えられた役はちゃんとやりたいと思い、

猫の役をやったと思う。

確か、ファミコンばかりやって怒られる?猫の役

だったと思う。

その役は笑われるところだったのですが、

私が笑われているんだと勘違いし始め、

だんだん、自分というものを出すことを

やめてしまった。

二つ目は、幼稚園の屋上で、

「お前みたいなブスで人の真似しかできない奴は

いなくていい」

みたいなことを言われた思い出がある。

私は言葉のままを受け取ってしまい、

自分を出すことの難しさを経験した。

 

幼稚園では、鼓笛隊というのがあって、

発表会とかでもちゃんとしたホールで

やるくらい力を入れている幼稚園で、

ピアノを習わされた。

父の夢でもあり、娘にピアノをやらせることが

当たり前でした。私はピアノの練習が好きではなく、

いつも誤魔化して、やったと言って嘘を付いていた。

そしておもらしも治らなかったこともあり、

嘘がバレたり、お漏らしのこともあり、

罰として、お尻を何回も叩かれた。

父親のイメージは本当に怖いというものでしかなく、

いうことを聞かないとどうなるかわからないと

いうような感じだった。

おそらく、父方の祖母に同じように暴力や体罰を

受けて育ったのだろう。加減を知らず、ただただ

叩いたり、ひどい時は蹴ったりした。

家族の中でも自分は自分を出してはいけないと

思うことが当たり前になってしまい、私には

自分のことを理解してくれる人がいないんだ

とどこかで思っていた。

 

小学生の頃

小学校へ行く時も、いつも遊んでいた子供達

とはうまく遊べず、その遊んでいた子供の一人に、

石を顔面にぶつけられて、泣いた事も覚えている。

その子達と戦っても敵わないと思ったのか、

その子達の弟と喧嘩した、卑怯な自分を今でも

覚えている。

小学校でもなかなかお漏らしは治らずだった。

本当に治ったのは、バスケを始めた4年生

くらいまでお漏らしで悩んでいたと思う。

トイレ行くことが怖くて、我慢してしまい、

漏らしてしまうという。

おそらく、当時されていた、学校の怖い話を

信じてしまっていたのか・・・。

あとは、親が厳しすぎると、子供は自由になりたいと思って、

お漏らしが治らないことがあると聞いた事もある。

幼稚園もなんとかいき、小学生になった。

小学校に行ってもトロさが目立ち、心配した母親は、

小学校4年生の時にミニバスケットボールをさせた。

小学校のバスケのコーチが凄く好きで、自分のミスでボールが

顔面に当たるくらいトロい子だったが、

それでも練習をやめずになんとか高学年で認められ、

少しずつ試合に出させてもらった。

その頃から母親と一緒に走ったりして、

スポーツも少しは得意になった頃だ。

おもらしは少なくなったが、いつだったか

泌尿器科で見てもらったこともあった。

小学校5年生ごろになるとおもらしも

なくなった。

 

中学生の頃

そして、中学生になった。

中学校もバスケをやりたいと思い、入部した。

中学校で、過ごして行くうちに、その当時は、

サッカー部だったか、

バスケ部の誰々くんが私のことを好きだとか、

いうだけで、部員全員に無視をされて、

プレーができなくなるくらいだった。

掃除や片付けは全部私だった。いじめにあったのだ。

訳も分からず、先生にも相談して、部活を変えることにした。

部員に持っていた信頼も無くなってしまったので、

信じる人とじゃないとバスケはできないと思って

全然違う吹奏楽にした。小学校からの友達もいたので

そこにした。

吹奏楽に入って、毎日すごく楽しかったのです。

吹奏楽で知り合った女の子がいるのですが、

こちらの方は、独占欲が強く、私を独り占めしたいと

いう思いが強い方でした。身長は高く、モデルのような

綺麗な子でした。会うと、「可愛いね、可愛いね。」

と言ってくれて、嬉しかったのですが、だんだん

言葉だけでなく、距離も近づき、独占欲が強いことが

エスカレートしていって、怖くなり、距離を置いた途端、

私の私物がどんどん無くなったり、壊れたり。

その子がやったという証拠はなかったけど、私は確信していた。

教科書が破られているのは当たり前、ジャージが切り刻まれていて、

上履きには画鋲。

先生に言って、クラスで取り上げてもらって少しは良くなったのですが、

それでも人間関係には苦労した。自分でもわからなかった。

ますます自分を出したら、ダメなんだと思うことばかりでした。

中学校もそんな感じで過ごしていきました。

ちょうど、14歳の頃、家族は、別居から、離婚になりました。

父親が、喧嘩の時に刃物を見つめていたので、母親も私も

たくさん話した結果、弟と父親が殴り合ったりするのも怖い

ということで、離婚をしたほうがいいのでは、と私が言い出しました。

 

高校生の頃

高校は本当に行きたいところへ行けました。

そこでもどうしても楽しかった

思い出に悔いがあったのか、バスケ部を選んでいた。

その小学校の時のバスケのコーチと練習した日々は

凄く楽しかったのだ。

その日々を思い出して、バスケを選んだが、

顧問の先生が陸上部だったので、何があっても

走ることをしないとダメだと言われ、毎日10キロは

走るのが当たり前と言われ、練習内容も楽しいものを

感じなかった。部員もいつも苦しくて。心が折れそうで。

祖父が他界した時も、練習をしろと言われ、

葬儀に行く必要があるのか?とかまで言われ、

今度は母親と先生が戦ってしまったので、私は高校に

行くことが怖くなってしまい、その当時、

自律神経失調症の、診断書を持って行き、

部活を変えてもらった。

そして選んだ部活は、父親の背中を見ていたのか、登山部だった。

父は登山が好きだった。

その頃、もう両親は離婚していたので、

母親に子供三人が引き取られて狭い団地に住んだ。

アルバイトも当時は禁止された学校でしたが、生活費もあったので、

土日だけ工場で働くことをしていた。

登山部で知り合った友達が、後に生徒会をみんなでやろうという凄く

キラキラした友達で、私は凄く憧れていた。自分のこともはっきり言えるし、

この人みたいになりたいって思った。

そして生徒会へ入り、会計をやった。

計算苦手なのに・・・。

生徒会で知り合った人々はみんな個性的でしたが、

凄く好きでした。

毎日、放課後に残っては、備品の貸し出し、

返却の放送をいれることをやって、夜7時くらいまで

部活より、そちらへ出ていました。

登山部の地道な練習も良かったし、

一人一人が凄く優しくて、好きだったので、

苦ではなかったのですが、生徒会の方を優先しました。

 

高卒で社会人になった頃

そして、離婚した母を助けたいために、

自分の絵を描くことを諦め、社会人に。

入社して、9年後くらいに今の旦那さんと知り合いました。

10年後に結婚、出産をし、育児休暇をとりました。

 

統合失調症になった頃(急性期症状)

育児休暇中に頑張り過ぎてしまい、

そして母親が乳癌で入院したこともあり、

今度は自分がどんどん壊れて行きました。

今思えば、私は小さい頃から、

心に問題があったかもしれません。

ご飯は食べず、眠れず、今では考えられないくらい痩せていて、

その当時英語を習っていた先生が英語の先生を辞めて、

石を集めたり、オラクルカードをやっていたので、

私も、オラクルカードが欲しいと思い、使ったのが、

オラクルカードとの出会いでした。

ドリーンバーチューのオラクルカードでした。

そして、何個も石を買ってみたり、旦那さんへ暴言を

吐いたり、数十年溜まっていた怒りを爆発させたかのように、

壊れてしまいました。

そして、恐れていた、会社復帰の日、面接があったのですが、

その時に会社を辞めたいと言い、心療内科へ。

会社をやめるには心療内科へ行き、会社をやめれば

いいと思い、心療内科へ通いました。

どうしても会社に戻りたくなかったのです。

「私は会社を辞めてすぐに成功する!」と変なビジョンも

見えていました。一ヶ月くらい休ませてもらい、

結局、仕事を辞めて、専業主婦になりました。

そして、それでも心は休まらず、母のように

仕事を持たないと母に嫌われると思っていたのか、

心だけが焦って。しかも母親は2009年に乳がんで入院。

そして、仕事は、2009年7月9日にやめて、

 2010年、私は統合失調症に。乳がんの母への想いや、

仕事を辞めて、母が嫌っている、専業主婦になることに

抵抗があった私は、自分を責め続け、溢れ出る感情を

抑え続けて、壊れてしまったと思います。

全部自分で自分を苦しめていたために

起こった病気だと思っています。

一番ひどかった時は、周りを見下し、

怒鳴り散らし、わめきながら、

罵倒していました。そして、

殺される!殺される!と叫んでいました。

監視されているとも。。。

強制入院になり、手足を拘束され、

ご飯は鼻からチューブをつけたもので、

流し込まれて、トイレにも行けず、

オムツでした。3ヶ月くらいは、ベットに

縛り付けられて、立つこともできませんでした。

 

こんな生活は嫌だ!

こんな生活は嫌だと思い、徐々に、普通の生活に戻るように

自分で変えていきました。

 

2010年12月上旬に無事、退院しました。

 

保育園の登園拒否

そして、そんな私が幼稚園に子供を連れて、

通うことが難しいと思ったので、退院してから、

保育園を選びました。幼稚園が決まっていたのに、

無理に保育園に入れてもらい、起こったのが、

登園拒否。

そこから、子供と療育センターに通ってみたりしました。

そこでは、娘は、楽しく過ごしていました。

 

その当時の先生が、給食を残した時に

無理やり食べさせようとしたのがきっかけで、

娘は、反発して、登園拒否を起こしたようです。

 

娘の行動は私にできなかったことだなぁって。

 

娘を見ていると私に色々教えに、

生まれてきてくれたんだなぁって思います。

 

小学校の登校拒否

小学5年生の夏休み以降、学校にいかなくなりました。

理由は、面倒くさいから。勉強もわからないし。ということです。

以前の私は絶対、学校に行かせないとと思っていました。

今は、彼女が決断することだと思えるようになりました。

 

私の心に変化が!?

娘の登校拒否から、私が、変わり始めました。

 

全部自分が選んでやってきたことだと

いうことがわかっています。周りに言われたこと、

されたことを鵜呑みにしたのも自分、

自分を出さなく決心したのも自分。

そういう自分も愛せるようになりました。

 

そして、娘を今まで以上に信じるようになったのです。

娘の決めることを信じるようになりました。

そこから私は変わり始めました。

 

人間関係もだいぶ変わっています。

 

そして、自由にアートを楽しむ人生を選びました。

曼荼羅はその1つです。でも飽き性だから、

いきなり変わることもあるかもしれません。

でも、それも含めて【Atelier Otoha】だと思っています。

 

最近、気づいたこと

見守ることは相手を信じること

誰かを助けようとするのではなく、見守ることが

大事だということがこの歳にしてやっとわかりました。

生まれた時から助けたい!と思って行動してきたけど、

もうそれは、全てやめようと思います。

相手を信じて見守る!これが大事だなと思います。

 

そして、誰かを助けたいと思っているときは、

自分が助かりたい時なんだということもわかりました。

自分の心の声を聞いてない時に限って、誰かに

意識が向くんです。

 

被害者意識を持つと加害者の役割が自分の前に現れる

そして、2019年6月2日、気づいたことがあります。

鏡の法則は、「自分」に対してしたことが、「他人」から返ってくるのです。

 

私は、ずっと過去に沢山の加害者がいると思っていました。

違ったんです!自分が引き寄せていたんです!しかも、全部加害者のせいだと

思っていました。これも違ったんです!!!!

 

詳しくは、こちらをお読みください。

→関連リンク:被害者意識を持つから加害者の役割が自分の前に現れる

 

ここにたどり着くまでに本当に色々な経験をしました。

これからは、自分だけに集中したいと思いました。

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